君の名は・・・

エンディング・・・

いい腕だ。君の名は?

マーフィー。

からのタイトル。

高らかに鳴るメインテーマ。

そしてエンドロール。

 

脳がしびれた。とはこのことだ。

 

きっかけはその造形だった。

美術系の高校へと進学希望だった自分はあのメタルボディのフォルムに惚れてしまった。

予告編と映画雑誌であつめた情報を脳内でフル拡大。

流線型のイカしたデザイン。太ももから拳銃のギミック。

興奮をおさえながら劇場へ。

ところがである。

 

大画面で繰り広げられる主人公の八つ裂き描写。(腕がモゲたときはたまげた)

改造されて目覚めてからの主観映像。社会風刺CM。ED209重役射殺。犯人股間破壊。ボディがボロボロに壊れていく。工場銃撃戦。オート9による3バースト。コブラ砲。アン・ルイス!ドロドロでヨチヨチからのビチャ!

そしてエンディングでの「(振り返り)マーフィー(にやり)」である。

 

結果その存在はただのグロテスクな鉄の塊であった。

劇中ややあってヘルメットを脱ぐと主人公の素顔がふたたび現れる。なのに見てはいけないものを見てしまった背徳感しかしない。

悲劇で陰惨。だからどんなに活躍しようと事件を解決しようとすこしもカッコよく見えない。

四面楚歌となりのちに理解者を得ても孤独な機械。

本名を名乗る最後だって自我を忘れないための強がりだ。

 

なのにこのカタルシス。

 

 いい映画だ。題名は?

ロボコップ』。

むろん1987年版だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゆうをわれらに・・・

『ブルーリベンジ』は銃撃をリアルに見せていた。

弾丸が着弾した際の人体破壊描写。
粛々と進行する物語に効果をあげている。
矢が刺さる痛みより散弾のほうが痛くないんだね。主人公は死にぎわにそうのたまう。
 
アメリカ銃社会。報復の連鎖。銃を持つものが勝者という台詞もあってとにかくわかりやすい映画だ。
 
自分がはじめて手に入れた銃はM16だった。小学生。むろんエアガンだがあのときの高揚感は忘れられない。
正直海外旅行先で実銃のM16を撃ったときの興奮など比ではなかった。
 
お前にはこの銃が合う。使い勝手がいい。
主人公に無償で銃を渡した友人はそう言った。
この銃なら確実に人を撃ち殺せるよと。
 
友人は正当防衛さえ成立すれば殺人に躊躇しない。
人を撃ち殺すよろこびをあたえてくれるなら無償で助ける人間ともとれる。
 
物語がはじまってからずっと主人公には死が漂っていた。だからおおよそ90分後には死ぬだろうと。
その通りになった。
 
『LA大捜査線/狼たちの街』では主人公が途中であっさり死んだのには驚いたが。
 
 『ランボー』を観たあと原作「一人だけの軍隊」を読んだ。小説のなかでランボーが死んでしまったことにさして驚かなった。
「一人だけの軍隊」も読んでいる途中から死が漂っていた。映画もはじめはスタローンは死ぬ予定だった。実際に撮影していたが試写の評判が悪く自首するエンディングに差し替えられた。
 
ランボー』でさえ脳内で再編集すれば、はじめからスタローンは死にむかっているようにも見える。
 
死のエンディングだったらあの名曲「It's a long rord」はいまでも心のなかで鳴り響いているだろうか。
 
 
 
 

 

 

 

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となりにトトロ・・・

森が舞台の映画や小説はおおよそ面白い。

あまりに多すぎて挙げたらきりがない。
ちなみに『ランボー』と大藪春彦の「ヘッドハンター」は別格とする。
 
森で彷徨う。
森になにかいる。
森に住む。
森で狩る。たいていの場合は人を。
 
自分は冬になると山にある無人の集落の小屋でひとり一泊する。
夜になるとそこにはノイズが一切ない。聴こえるのは木々がこすれあう音と動物のなき声。
そして闇がある。
 
ランタンの灯りと薪ストーブのぬくもりを頼りに極寒を過ごす。
その晩雪が降ると翌朝さまざまな獣たちの足跡がそこらじゅうに残っている。夜に物音さえしなかったのに。
 
海辺のカフカ」は森が舞台でなければ成立しないしトトロは都会に現れない。
 
見えないものが見えたりするのはそこはかとない闇があるからだ。
 
小野不由美の「東亰異聞」は明治時代の東京(東亰)が舞台。闇のなかから魑魅魍魎が現れ人を襲う。
街頭や窓明かりがなかったころの東京の夜には森とおなじ闇が存在した。
その闇を人々は畏怖し幽霊や魑魅魍魎を創造していった。
 
ほんとうはそんなもの存在しない。とまでは言わないが(ほんとうにいないけど)個々の脳内では存在することは否定できない(それを思い込みという)。
 
森のなかにいると思考は深く潜る。となりにトトロだって現れる。
 
森が舞台の『ランボー』でスタローンが警察署から脱出し山に逃げ込み森でズタ袋を身にまとい崖から飛び降りて腕の傷を針と糸で縫い合わせ追ってきた警官を一網打尽にしてから野豚を狩り焚火をしながら伊藤ハムみたいにナイフで一口大に切って頬張りつつトラウトマン大佐とトランシーバーで会話する一連はしびれる。
山をおりてM60で町を壊滅させてティーズル保安官を倒すまでがコンパクトにまとまっていてなおしびれる。
 
要するに『ランボー』は傑作ということだ。
 
 
 

 

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基礎の充実の上に・・・

ブレードランナー ザ・ファイナルカット』DVDメイキングの未公開映像を観た。

じつはレイチェルのヌードを撮影していたことに衝撃を受けた。

なんてことだデッカードとレイチェルが裸でからんでいる。

 

本編ではデッカードが強く迫ると彼女は少女のように幼く答える。

ヴァージンであるレイチェルはデッカードを怯えながら受け入れキスしながら下にフレームアウト。

エンディングでレイチェルがデッカードについてゆくきっかけとなるシークエンス。

ブレードランナー』をはじめて観たときむろん世界観・映像・物語・登場人物すべてに圧倒された。そのなかで特出して感銘をうけたのは中盤のラブシーンだった。

 

やさしくて儚げで刹那的。

幼かった自分は大人になるとこんな素敵なことができるんだなどと心が豊かになったものだ。

 

未公開映像ではフレームアウトあとレイチェルが胸をさらけ出して結合する。そこでのレイチェルは経験ある大人の女性として演出されていた。

そのころには映像編集を生業としていた自分は脳内で勝手に再編集しヌードシーンをつけ加えた。

が整合性がない。いらないシーンだ。だから本編からカットしたのだろうがメイキングに入れてほしくなかった。というよりもそもそも撮影してほしくなかった。

 

地獄の黙示録』は好きな映画だ。

血迷って特別完全版DVDを購入し早速後悔した。

フランス人妻の誘いやプレイメイトとの宴はまったく必要なかった。

ベトナム戦争の混沌を見せるために地獄めぐりとしてエピソードの羅列を意図し目的地へ向かうコンセプトは素晴らしい。

だが足されたエピソードが牧歌的すぎた。

そして直接的なエロスがそこはかとなく蛇足だった。

 

本来血と暴力とエロスはご飯とみそ汁と焼魚くらい相性がいいはずなのに。

 

ブレードランナー』はナレーションありで『シャイニング』のあまったフィルムをラストにくっつけたバージョンがいちばん好きだ。

 

デッカードはもしかしたらレプリカントかもしれない・・・とかいらない。

 

さらに言うと最近アナウンスされたばかりの続編もいらない。

 

だけど結局劇場へと向かうことになる。

 

 

 

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コマンドーvバタリアン

80年代は二本立て映画があたりまえだった。

東映の映画館で観た『チャンピオン鷹』の同時上映は『五福星』(ユンピョウよりサモハン派だった)、『エクスプロラーズ』の同時上映『ヤングシャーロック/ピラミッドの謎』(当時黎明期のCGIに素直に驚愕した)、『ロッキー4炎の友情』の同時上映『栄光のエンブレム』(嗚呼シンシア・ギブ!)など目的の映画よりもノーマークだった同時上映にしびれた。

 

現在の映画嗜好を形成した同時上映がある。

コマンドー』同時上映『バタリアン』。頭痛がするほど素晴らしいコンボ。

 

当時自分は映画嗜好的にドンパチアクションばかり観ていた。

スタローン、シュワルツェネッガーを筆頭に銃をにぎった屈強な男が銃弾をばらまき人がいっぱい死ぬという映画に傾倒していた。

 

むろん『コマンドー』目的で劇場に。

ムキムキ筋肉が躍動しながら機関銃をぶっぱなす。人がバタバタ死ぬ。早く見たい!

まずは同時上映の興味薄B級ホラー『バタリアン』とやらで興奮を鎮めよう。

 

『ゾンビ』は全バージョン観ているしDVDもコンプリート。リバイバル上映にも三度足を運び年2で見返す。

ゾンビジャンルは洋画ならほぼほぼ観ている。おのずと詳しくもなる。

それをきっかけに某ゾンビ映画の宣伝に携わることもあった。

 

バタリアン』。

 はじまってからドキワクがつづいた。エンディングで核爆弾が落とされるまでずっと。

タールマン、オバンバのSFXと恐怖演出に興奮よりも映画制作そのものに覚醒していく感じだった。

これによりたった1時間後には『コマンドー』で銃撃戦よりも農具を使った人体破壊に興味がシフトチェンジ。たぶん。いま思えばだが。

 

ちなみに『プレデター』目的で観にいった際の同時上映が『エンジェルハート』。

ミッキーロークのかっこよさにやられてしまい『ハーレーダビッドソンマルボロマン』まで追いかけることになる。

 

 

 

 

 

 

 

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謝肉祭・・・

小学生のころお金持ちの子が当時高価なVHSビデオデッキを自分の部屋にもっていた。

すごい。部屋にテレビでさえ贅沢な時代なのに。

 

彼がもっていたビデオ『食人族』(当時ビデオレンタルも盛んではなかったから購入したのだろうか)の上映会がはじまった。

あまりにも怖くて観ていられなかった・・・と言いたいところだがビジュアルを鮮明に覚えている。まさにむさぼり食い入るように画面に見入った。それっきり一度だけしか観ていない。

 

メインビジュアルにもなった串刺し女、ウミガメ解体、神格化フィルム缶、生首手渡し、レンズの前に倒れるカメラクルーのアップ。

 

確認していないがおおよそ合っているだろう。

知らなかったのは映画はフェイクドキュメンタリーだったことだ。

 

いまは閉館中の新宿武蔵野館で公開当時『グリーンインフェルノ』は超満員だった。

自分は同館にあししげく通った。いつも訴求力のある映画を上映していた。再開する10月がまちどうしい。

 

偽善者どもがてめえらの都合で守ろうとした部族にめちゃくちゃにされる。セスナ墜落からはじまるボディカウント。監禁されてからの解体とイートイン。痛快。解体シーンが最初だけであとは端折っていて食い足りなかったが真っ赤なボディのお肉好きたちのキュートな連帯感にしびれた。

 

ところが自分探しの女子大生(主人公)がおっさんと二人で脱走したところから急激につまらなくなる。ふたたび捕られ白く塗られて凌辱される寸前の素敵なシーンもあるのに・・・。

人体解体阿鼻叫喚からの脱出から急につまらなくなった『ホステル』と同じだ。ふつうはハラドキで観客が食いつくシチュエーションだ。

 

同監督の『ホステル』は脱出後主人公の男が正義に目覚めてヒーローになる。『グリーンインフェルノ』の主人公は強く賢くなる。予兆なく。

 『ファイナルガール』や『28日後・・・』など前触れなく途中から急に強くなる主人公はホラー映画によくある定番の展開。こちらはギャグなのでよしとする(どちらもさほど面白くなったが)。ところが『グリーンインフェルノ』はまじめなシナリオだ。登場人物が死ぬシーンはすべて意地悪なギャグで撮られているが行動原理はいたってまっとう。だから違和感がぬぐえない。ラストをヒロイックに仕上げるのが癖なのかもしれない。

 

だからといって脈略のない映画は嫌いではない。

『極道恐怖大劇場 牛頭』は展開・登場人物・演出・火野正平・・・全部でたらめだ。

あまりに好きすぎて友人集めてDVD上映会までした始末。

 

 

 

 

 

 

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