COP CAR/コップ・カー・・・
『ザ・ゲスト』は非常に奇妙な映画だった。
イラクに従軍した息子の悲報を伝えにやってきた兵士を家に泊めてやるが実は男には秘密があって・・・といった内容。
息子を失った母親を慰め傷心の父親の友人となってやる。
いじめられっ子だった弟を助けて思春期の姉にムキムキの筋肉を見せてぽわんとさせ死んだ息子の代わりに疑似家族となる。
秘密をいえば男は殺人兵器にされており政府に追われていたという既視感否めない展開。
ところがどいっこいすべてに対して奇妙な演出が施されていた。
政府に見つかったら早速母親を包丁で刺し殺し父親を車で追突しつつ秘密を知った娘と息子を殺すために追いかけまわす。それも対決の舞台は学園祭のお化け屋敷。
そしてまったりとした演出であまり緊張感がない。
さらに驚いたのは男が最後に逃げ切るということ。レオンのパクリみたいなやり方で。
これが滅法面白かった。『ドライブ』にも似た変化球演出。
『ドライブ』も物語は何の変哲もない『シェーン』パターンだ。順当なシナリオを調理して世にも奇妙なそれでいて観客を飽きさせない演出に溢れている。そもそも『ザ・ドライバー』のリメイクから企画は始まっているし。
『コップ・カー』。
まず主人公である男の子たちがかわいい。
家出したクソガキなのに憎らしくない。盗んだコップ・カーを乗りまわすはしゃぎっぷり。ずっと二人の遊戯を観ていたい気分になる。
『スタンド・バイ・ミー』にも似ている。しかし子供の遊びに永遠などないことはわかっている。
映画は時間を戻して子供たちが車を盗む少し手前に戻る。
悪徳警官ケビン・ベーコンの登場。
必死に死体処理。
必死に荒野を駆け抜ける。
必死に車の鍵を開けようと試みる。
(このシーンの執拗さ加減は秀逸だ)
必死に身分を隠そうとする。
必死に麻薬を捨てようとする。
必死にコップ・カーを盗んだ男の子たちに返してと説得する。
とにかくずっと必死なケビン・ベーコン。俄然物語に引き込まれる。もっと必死にケビン!と応援したくなる。
最期ケビン・ベーコンは麻薬を横取りした相手と相討ちで死ぬのだがそこはどうでもいい。
クライムサスペンスを見過ぎたあまり登場人物(主人公含め)が死んでいくエンディングのころになると夕飯何食べよう となる最近。
映画見飽きたのか。
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クリーピー・・・
『蜘蛛の瞳』は今でも何度でも観たくなる映画(Vシネ)だ。
菅田俊の存在感。
大杉漣のおとぼけ。
無感覚の殺人。
血飛沫の無い銃撃。
女性に投げる石。
河原のシーツ。
これを書いているだけでまた観たい。
虚無とイメージの積み重ねがこれ程面白いとは。
黒沢清はどれも好きだ。
特に『CURE』『蛇の道』『蜘蛛の瞳』『カリスマ』『回路』などの4、5年間は特出している。
もっと詰めると『蜘蛛の瞳』『カリスマ』『回路』はこの世の摂理がすべて入っている気がした。奇跡だ。
奇跡から時間が経ち勝手な見解だが黒沢監督の中にあるまた別のルールを映像化しているようであまり好きになれなかった。
『クリーピー』。
最も好きな黒沢監督先品を久しぶりに観た。
役者はまあ置いといて(触れたくない)映像と編集と美術とルールがあの頃の奇跡と同じだった。
冒頭の警察署の古びた感じと連続殺人鬼の言動。
不快なビニールカーテン。
不穏な庭。
香川照之。
そっけない風景の奇怪さ。
事件発端を省略。
極端な美術セット。
特に竹内結子のシーンの妙な編集。
車で移動する際の車窓の異世界感。
登場人物が全員虚無という絶望感。
奇跡がまたひとつ加わった。
ただし西島秀俊が竹内結子に薬を打たれてから香川照之を射殺するまでのクライマックスに説得力がまるでなかったのが残念でしかたない。
だがそこを省いても傑作だった。クライマックスなのにもかかわらず。
正直やっぱり主演は役所広司が良かったな(触れちゃった)。
役所主演でリメイク希望!
無論絶対ないと知っています。
レヴェナント・・・
ある日森にいた。
大雪が降った翌朝に山を登った。
獲物を追って。
途中勾配がゆるやかになり平地に幾何学的な林が現れた。
しばらく惚けた。
『レヴェナント』を観たとき思い出したのは森と人間だった。
散弾銃をかまえて山道を歩む。なるべく音をたてないようにゆっくりと。
やがて子熊に遭遇。子熊はギャーギャーと喚きはじめた。
自分は銃口を子熊に向けた。
なかなか引き金を引けない。
はたと子熊は母を呼んでいるのだと気づく。
近くにいる。怖くてあとじさりしていた。
実際体験した話だ。
『レヴェナント』で主人公は子熊を狙い母熊に襲われた。
白昼夢を見ているみたいだった。
正直『レヴェナント』は好きになれない。
大自然・森・追走劇があればおおよそ面白いのが個人的な定義だったのに。
『ラスト・オブ・モヒカン』(嗚呼マイケル・マンよ!)はトレヴァー・ジョーンズのスコアも相まって興奮した。
『アポカリプト』(メル・ギブソン万歳!)の人狩りゲームは手に汗握った。
『ランボー』の・・・以下略。
それに最も好きな俳優であるディカプリオとトム・ハーディの共演だ。大好物。
同監督の『バードマン』はワンカットの繋ぎにデジタルが垣間見える。
高度なデジタル技術によってどう撮っているのかという興味を掻き立てるがどちらかというとワンカットという技術を見せるために仕方なくデジタル処理を施したという結果にしか見えない。
そいえば『レヴェナント』での絶妙なタイミングでバッファローの群れを狼が襲うシーンや敵に追われて馬ごと崖から滑落する迫力の場面もデジタルが脳裏をよぎる。
同時に実際に撮影したら何日かかるだろうなどと展開に集中できない。
大自然の厳しさや美しい風景も物語の一端を担うのがコンセプトだとしたらこの監督には荷が重すぎるのではないだろうか。
だから復讐譚だけをすくい取ってみるとあまりにも何の変哲もない。
要はデコレーションし過ぎだ。
途中で挿入される幻想的な映像とか既視感でしかない。
時折入ってくる回想で愛した妻が殺されてしまい残された息子がすべてだと溺愛している主人公なのに表現がぼんやりしすぎてトム・ハーディが息子を殺してもこちらには何の感情もわかず蘇って復讐に駆り立てる持続性が薄いから目の前で起こっている陰惨な出来事だけだけを目で追っているだけになってしまった。
後半で妻が宙に浮いている場面ではどうせ何かの映画の引用でしょってな始末。
ただトム・ハーディの存在感は手放しで最高といえる。
彼を姑息な悪人にするために中盤で隊長とあざとく金庫の話をして予定調和で盗んで逃走させるのはいかがなものか。
トム・ハーディの存在意義があまりにも理に適っていて極悪人に見えない。
主人公がサバイバリストである設定がまったく生かされていないのも気になった。
台詞で主人公がいなければ山を越えられないって言ってはずなのに毛皮狩りの隊は無事目的地に到着した。トム・ハーディたちもしかり。
生魚や生肉を食べる場面だけが目立ったが果たしてそんなにすごい事なのかと思う。
最後に宿敵トム・ハーディの殺害場面が映らなかったのはどうしてだろう。
その光景を見ているディカプリオの表情で読み取れということか。
とにかくなにもかも抽象的すぎる。
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奇跡の女性・・・
『WONDER WOMAN』の予告篇をなんどもリピート再生。
『MADMAX FURYRORD』の予告篇以来。
本来アメコミ映画に興味ないのに。
たしかに『アイアンマン』は構成の巧みさにしびれた。
わざわざストーリー展開を箱書きに起こしたほどに。
『アベンジャーズ』はいろんなキャラクターによるコントにしか見えない。敵もあってないものだし。
要はなにも残らない。
『バットマンvスーパーマン』は様々な戦いが矢継ぎ早につづくが抑揚なく平坦だ。メインであるバットマンとスーパーマンの対決でさえもただただ時間が過ぎているという感覚。
目の前でどんなに街が破壊されようとばかでかいモンスターが暴れようとも目からレーザービームが出ようとも感情に訴えて来るものはない。
話題になったワンダーウーマンだってしかり。この時点でこのキャラクター必要なのかという思い。男ふたりで解決しろよ。
それなのに『WONDER WOMAN』の予告篇は期待できる。
第一次世界大戦下が舞台(らしい)。
近代戦争黎明期に変なコスプレした女が暴れまわる。
ばかみたいだけどとっても素敵。
美しい浜辺で墜落した(らしい)飛行機乗りを助ける神話の女神みたいなワンダーウーマン。その飛行機乗りに恋してしまった(らしい)ワンダーウーマン。諜報部員的活動をする(たぶん)ワンダーウーマン。完全な違和感がそこにいる非現実的な格好で兵士たちをばったばったとなぎ倒すワンダーウーマン。このときに腰で敵の銃をまっぷたつにするカットでうなった。
とにかくあたまがわるそうでとってもカッコいいのだ。
途中でアマゾネスみたいな仲間たちが馬に乗って登場して剣をふりまわす。そのあと第一次世界大戦当時の町並みでワンダーウーマンが金色の鞭をふりまわす。
西部戦線とおもわれる塹壕から地上にあがるワンダーウーマンの凛々しい姿(ここは必見)。そこから攻撃されて丸い縦で身を守るワンダーウーマンのやっぱりばかみたいなのにかっこいい姿。
ガル・ガドットの美人力もあるだろうがあのコスプレで1910年代に存在するばかみたい感はたまらなく正しいと思う。
キューブリックの『突撃!』やスピルバーグの『戦火の馬』にワンダーウーマンが突然登場するようなもんだ。
だからといって本編が面白いとはかぎらない。
観に行くけど。
Wonder Woman – Comic-Con Trailer - Official Warner Bros. UK
ロッキー・バルボア・・・
『ロッキー・ザ・ファイナル』。
いまはなき銀座シネパトスにて鑑賞した。
試合のハイライトでダウンしたロッキーが拳で体を支えながらのモノローグ。自問自答。
劇場で嗚咽を漏らすほど号泣。抑えようと必死。
追い打ちをかけるファイナルベル。ビル・コンティ渾身のサントラ。
ファイナラウンドから観客との握手エンディングまで涙腺がゆるみっぱなし。
DVDレンタルした際もおなじ場面で号泣。
自分にはファイナルベルがかかると感極まる習性がある。
ジョギングの際ももっぱらロッキーのサントラをヘビーローテーション。
ファイナルベルがかかると速度をあげてしまいサビにさしかかると全力疾走。ジョギングなのに途中で力尽きるほどパブロフの犬状態。
『ロッキー』とのファーストコンタクトはテレビ。小学生。
羽佐間道夫の吹き替えによりロッキーというキャラクターを身近に感じた。
あきらかに貧乏だし好きな女の子は可愛くないしミッキーにはないがしろにされるし。
でもあきらめない男だった。不器用だけどひたむきでがむしゃら。
試合に負けたって潔い。本気だから。
当時の自分はスタローンに夢中だった。
スタローン熱は『ランボー怒りの脱出』ではじまり『ランボー怒りのアフガン』『コブラ』『オーバー・ザ・トップ』とスタローン主演作品は全部映画館で観た。
そしてむろん『ロッキー炎の友情』も。
しかしスタローン熱に侵されながら観た『ロッキー4』は自分のなかのロッキーシリーズとは別のものだ。
中学生のころスタローン熱が発端で筋肉マシンガンという重病が併発したがやがてその病も克服した。
シュワルツェネッガーの『コマンドー』『ゴリラ』『プレデター』『レッドブル』も無意識で劇場へむかった。
病は1985年から1988年というごく短い期間だった。
それ以前とそれ以後では映画の見方がまったくちはがっている。
『ランボー(1982)』と『ランボー最後の戦場(2008)』は物語として直結している。
『ロッキー』『ロッキー2』『ロッキー3』『ロッキー・ザ・ファイナル』も直結している。
え?5・・・?
『クリード』。
ファイナルからさらに老いたロッキー・バルボアが登場。アポロの息子にボクシングを教えるとってもいい話。
しかもロッキーが病に侵されているという悲劇でもある。
それなのにスクリーンで繰り広げられる展開に置いてけぼりになる。
なぜかアドニスの母メリーアンとロッキーが物語上一度も会わないことに違和感。
アドニスの試合。クライマックス。満を持してファイナルベル。
まずい。『ロッキー・ザ・ファイナル』のときよりも観客が多い。
恥ずかしい。嗚咽などもらせない。我慢だ。
が。
泣けない。
ファイナルベルだよ。ほら号泣だろ。
冷静になって見ると目の前で戦っているのはロッキーではない。アドニス・クリードだ。
残念ながら自分は『ロッキー』を観ているわけでなかったのだ。