ナカトミプラザと都庁舎

イッピカイエー。

都会のビルが盛大に爆発する映画が好きだった。

ボディカウントが追いつかないほど主人公が愛用拳銃ベレッタF92でガンガン人を撃ちまくる映画ばかり観ていた。

その最高峰。

プライベートなのに拳銃所持したまま飛行機でNYからLAへ移動してきた刑事。

偶然テロ現場(本当は強盗だったが)居合わせた刑事。

裸足でバンバン敵を撃ち殺すのに飽き足らずエレベーターシャフトにC4プラスティック爆弾を括りつけた椅子を放り投げてよろこぶ刑事。

ビルの屋上が大爆発して人があんなにいっぱい死んだ(ほぼ彼が殺した)のに奥さんとリムジンの後部座席でキスしながら去っていく刑事。

彼の名前はジョン・マクレーン。最高の映画だ。

ダイ・ハード』。時は1989年。劇場で興奮したものだ。

あれから30年近くが経つ。

 

正月三が日にテレビで「都庁爆破」なるテレビドラマを見てしまった。

都庁がテロに乗っ取られ爆発した。正月からなんて景気がいいのだろう。

それなのにほとんど地上に影響がない。

高層階と地上では時間軸がずれているのだろうか。しかしそんな説明は一切なかった。

主人公の娘がテロリストに人質になってしまう(本当にテロだったというひねりのなさ)。

そこに意地悪家族も人質になっていたため娘がさらなる危険にさらされる。

物語上娘を危険にさらしたいなら後出しジャンケン(説明もなくそこにいた意地悪家族)ではない別の方法があったはずだ。

いや。考え直そう。人間は保身のためなら何だって・・・とか。そういう説教がしたかったのだろう。大人だね。

そもそもアメリカ諜報機関CIAのエージェントとアメリカに恨みを持ったテロリストが日本人という体たらく。

いや。うがった見方だ。東京五輪も近いし日本人を印象づけたかったのかもしれない。日本人ファーストというべきか。

それにそのCIAとテロリストが兄弟だったという驚愕の事実。これは正直驚いた。違う意味で。

トラウマによって元自衛隊爆弾処理班の主人公の手が震えるのも本人の都合ではなくシチュエーションによりけりというさじ加減。

主人公が最後に解除する毒ガス装置のデザインの幼稚さと今時色付きの配線のどっちらを切ればいいんだ問題を恥ずかしげもなく披露する度胸には感服した。

主人公とコンビを組んだ日系CIAが主人公の胸ポケットのスマホを狙ってベレッタF92(9ミリ弾)を撃って死んだふりさせるがふつう死ぬよ。


What Happens If You Shoot an iPhone 6?


Which Phone is More Bulletproof? Samsung Galaxy vs iPhone

・・・ほら。

屋上に連れていかれた人質の安否も不明瞭のまま放置。

 

ダイ・ハード』がやりたかったのかもしれないがあの映画の肝は「本当はテロリストじゃなくてただの強盗だった」というトンチオチだったのに。

まじめだね。

 

そして最後、装置を処理した主人公と人の死を目撃した娘が(きっと本来阿鼻叫喚地獄絵図であるはずの)地上に降りてきてこういった。

「おなかすいたね」

そうのたまって楽しそうに仲良く帰っていく。放送中ずっと脳みそが痺れつづけていた矢先の出来事。

 

ジョン・マクレーンと同じ行動なのに主人公とその娘がサイコパスに見えるのは時代なのか。

 

 

 

 

 

 

 

まんが道

藤子不二雄の自伝的漫画『まんが道』は愛読書だった。

愛蔵版の分厚い本の頁を何度も捲った。

なかでもコンビがプレッシャーに負けて連載を放り出してしまうエピソードはスリリングだった。

やがてすべての出版社に見限られ挫折を味わったあと再起するカタルシス

コンビで仕事をする人間関係の歪の描写は少々緩いかもしれない。

それでも現代ほどエンターテインメントやメディアが繁栄していなかった当時からすれば余計な情報がないぶんより同じ目的に向かう意志はより強固だったと考えられる。

クリエイティブとはなんたるかをさして理解できない。

しかし『まんが道』はビジネスとなってしまった現実とアイディアを生む苦悩から逃れられないジレンマと戦う漫画家の物語として描き切っていたと思う。

 

バクマン。』の漫画は読んでいない。映画はいまさらながらNETFLIXで鑑賞した。

漫画家とその原作者を目指す高校生それぞれの動機。漫画家は叔父さんが漫画家でその姿がかっこよかったから。原作者は絵が描けないし売れたいからとか。

純粋に漫画が好きだから。漫画を描きたい衝動が溢れている。ようにはとても見えない。

物語の肝である連載を落としそうになる理由が病気って。過去に叔父さんが病気で連載を落とすのを伏線としているがそのチョイスはどうだろう。

なぜか高校生活と両立している(居眠り程度で漫画家との二足の草鞋が可能なら両立といえる)。

バクマン。』は夢見ていた漫画連載がビジネスとなった現実と毎週アイディアを生む苦悩から逃れられないジレンマと戦う漫画家について一切の描写が存在しない。

ただ目立っていたのは漫画連載とライバルとの競争をCG描写で格闘技のように演出した程度だ(しかも長くて後半恥ずかしくなってくるのは少年誌原作だからか)。

ヒロインの存在価値は論外。

 

唯一本棚の背表紙でエンドクレジットを表現したのは素晴らしい。

 

 

愛蔵版 まんが道 (第1巻)

愛蔵版 まんが道 (第1巻)

 

 

 

 

 

 

ドラマ『まんが道』の主題歌

 


竹本孝之 hold your last chance

 

 

 

 

 

 

マンチェスター・バイ・ザ・シー

劇中で女性の尻をズボンのベルトで打つ。

別の女性の首を殺すために絞める。

保身のために殺人を厭わない。

主人公の保安官・ルーは衝動で人を傷つけ殺す。

暴力的で厭な場面をアクセントとする映画。

俺の中にいる殺し屋というタイトル。

キラー・インサイド・ミー」は殺人衝動を押さえられない秩序が主人公。

という矛盾を抱えて保身に走るが破滅の道を行く滅法面白い映画だった。

主人公の目が印象だった。虚無なのにバイタリティがみなぎっている。

 

マンチェスター・バイ・ザ・シー」は気まずさで成り立っている映画だった。

会話のない気まずさ。

余計な一言の気まずさ。

再会の気まずさ。

理解し合っているのに気まずい。

愛し合っているのに気まずい。

ただそこにいるだけで気まずさが漂う。

 

10分に一回ペースで起こる荒唐無稽な銃撃戦や爆発よりも同じペースで起こる対人との気まずい空気のほうがよっぽど暴力的だ。

贖罪だけで生きる主人公・リーを「キラー・インサイド・ミー」と同じケイシー・アフレックが演じている。

物語の設定もキャラクターの感情表現もまったくの別人格なのだがたたずまいは同一人物だと感じた。

同じくケイシー・アフレックの主演作品「ゴーン・ベイビー・ゴーン」では頭脳明晰な私立探偵を演じていてまったく別のキャラクターだったがやはり同一人物だった。

彼が演技貧乏で「何を演じてもキムタク」タイプでなくキャラクターを自分に寄せることができる役者なのだと確信した。

 

ちなみに浅野忠信も同種と推測する。

彼がヤクザを演じた「殺し屋1」と刑事役であるテレビドラマ「刑事ゆがみ」は同一人物だろう。

 

だた残念なのは今作でアカデミー賞主演男優賞を獲ってしまったために大作ばかりに出演しこのような地味な映画に出演しなくなってしまうかもしれない。

 

 

 

 

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ゴーン・ベイビー・ゴーン [Blu-ray]

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諸説イントラセレブラルソィル5

諸説イントラセレブラルソィル

作 奇妙フイルム

 

 

 

 

5.

小田急線S駅、乃至、C駅が最寄駅である都立K公園。桜の名所でも知られている。

春爛漫。

ソメイヨシノが狂い咲く樹下、ファミリーパークで多くの家族やカップルが花見を楽しんでいる。

手作り弁当と酒に合うツマミ。日曜日。晴天にも恵まれ、日ごろの行いがなんとやらかんとやら。

広大な芝生に寝転がるカップル、讃美歌の練習をする団体、フォークギター片手に熱唱する若者もいる。

平和の象徴である家族連れのまわりを駆け回る未来ある子供たちの笑い声。

どこからともなく「凡庸な平和」という声が聴こえたが、その場の誰も気がついていなかった。

そんな人間たちよりも何倍もの数のカラスが弁当やツマミを狙って狂い啼く。

このK公園は、年々カラスたちの数が増えていった。

公園の中央を流れている川に沿って植えられたコナラ群に生息するカラスの存在が多少気にはなるが、直接襲ってくるわけでもなく、人々は意識しながら意識しないよう努力する。

小学校でのクラスのいじめみたいなものだろう。無視する行為。ところがカラスはいじめる人間より数が多いのでいじめだと理解しない。そもそもカラスはいじめという概念がない。

東京都環境局発表による都内のカラスの生息数の推移は増加の一途を辿っている。

前年度に比べて六千増加。各所でカラスによる被害も増大。

賢い彼らは人間を恐れない。徒党を組んで自分たちの思い通りに行動する。

生きる知恵と知識、そして恐怖を植えつける術を知っている。

彼ら独自の倫理観と概念で彼ら以外の者たちを敵視する。

 

 

つづく

諸説イントラセレブラルソィル4

諸説イントラセレブラルソィル

作 奇妙フイルム

 

 

4.

三月が始まる頃、獣害のニュースが立て続けに報道された。

関東・甲信越地方のあらゆる場所で、熊が町に下りて人を襲った。

本来なら、本州に棲息するニホンツキノワグマは人を食料としない。

襲われる場合のほとんどの原因は、人に対する恐怖からくる防御だ。

時折、興味津々の幼児のように玩具として弄ぶこともある。

だがある日、とある小さな町で人が食害された。

山間だがコンビニさえある栄えた町だ。

実際その熊は、目撃者によると、まるで戦利品のように人体の一部を咥えて山へと去っていった。

後に地元のハンターに射殺されたその熊の胃袋には人体の形跡はなかった。

マスコミは、自然破壊が原因だとか異常気象のせいだとか、まったくさっぱり頓痴気な意見を垂れ流していたが、とあるAMのラジオパーソナリティは、熊にだって考えがある。と、真っ当な意見を述べていた。

結果的にはツキノワグマによる人身事故と片付けられた。

同じころ、五十頭をゆうに越える猪の大集団が田畑を荒らし、芽吹いたばかりの作物を摘み取るように食べ、鹿が車道へ、まるで自殺でもするかのように飛び出して、車と衝突事故を巻き起こしていった。

猪は家族以外と群れないし、鹿は臆病だ。どうして彼らがそんなことをするのか。

その通り。

猪には猪の、鹿には鹿の考えがあるからだろう。

さらに補足すると、変わらぬものなどなにもない。恥じらいもなくかっこつけて言えばだが。

 

 

 

つづく