レヴェナント・・・
ある日森にいた。
大雪が降った翌朝に山を登った。
獲物を追って。
途中勾配がゆるやかになり平地に幾何学的な林が現れた。
しばらく惚けた。
『レヴェナント』を観たとき思い出したのは森と人間だった。
散弾銃をかまえて山道を歩む。なるべく音をたてないようにゆっくりと。
やがて子熊に遭遇。子熊はギャーギャーと喚きはじめた。
自分は銃口を子熊に向けた。
なかなか引き金を引けない。
はたと子熊は母を呼んでいるのだと気づく。
近くにいる。怖くてあとじさりしていた。
実際体験した話だ。
『レヴェナント』で主人公は子熊を狙い母熊に襲われた。
白昼夢を見ているみたいだった。
正直『レヴェナント』は好きになれない。
大自然・森・追走劇があればおおよそ面白いのが個人的な定義だったのに。
『ラスト・オブ・モヒカン』(嗚呼マイケル・マンよ!)はトレヴァー・ジョーンズのスコアも相まって興奮した。
『アポカリプト』(メル・ギブソン万歳!)の人狩りゲームは手に汗握った。
『ランボー』の・・・以下略。
それに最も好きな俳優であるディカプリオとトム・ハーディの共演だ。大好物。
同監督の『バードマン』はワンカットの繋ぎにデジタルが垣間見える。
高度なデジタル技術によってどう撮っているのかという興味を掻き立てるがどちらかというとワンカットという技術を見せるために仕方なくデジタル処理を施したという結果にしか見えない。
そいえば『レヴェナント』での絶妙なタイミングでバッファローの群れを狼が襲うシーンや敵に追われて馬ごと崖から滑落する迫力の場面もデジタルが脳裏をよぎる。
同時に実際に撮影したら何日かかるだろうなどと展開に集中できない。
大自然の厳しさや美しい風景も物語の一端を担うのがコンセプトだとしたらこの監督には荷が重すぎるのではないだろうか。
だから復讐譚だけをすくい取ってみるとあまりにも何の変哲もない。
要はデコレーションし過ぎだ。
途中で挿入される幻想的な映像とか既視感でしかない。
時折入ってくる回想で愛した妻が殺されてしまい残された息子がすべてだと溺愛している主人公なのに表現がぼんやりしすぎてトム・ハーディが息子を殺してもこちらには何の感情もわかず蘇って復讐に駆り立てる持続性が薄いから目の前で起こっている陰惨な出来事だけだけを目で追っているだけになってしまった。
後半で妻が宙に浮いている場面ではどうせ何かの映画の引用でしょってな始末。
ただトム・ハーディの存在感は手放しで最高といえる。
彼を姑息な悪人にするために中盤で隊長とあざとく金庫の話をして予定調和で盗んで逃走させるのはいかがなものか。
トム・ハーディの存在意義があまりにも理に適っていて極悪人に見えない。
主人公がサバイバリストである設定がまったく生かされていないのも気になった。
台詞で主人公がいなければ山を越えられないって言ってはずなのに毛皮狩りの隊は無事目的地に到着した。トム・ハーディたちもしかり。
生魚や生肉を食べる場面だけが目立ったが果たしてそんなにすごい事なのかと思う。
最後に宿敵トム・ハーディの殺害場面が映らなかったのはどうしてだろう。
その光景を見ているディカプリオの表情で読み取れということか。
とにかくなにもかも抽象的すぎる。
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